雛の刷り込みの話

世の中の人間は、幼少期に基本的な人格は形成される。

家族や友人、アルバイト、土地など出会った人の数に応じて内へ内へとあった自意識が広がり、ボコボコにされ、おそらく一般的な常識とされるものを身につけていく。

6年一緒にいた年上の彼氏がいた。初めての彼氏だった。デートも、キスも、喧嘩も、週末のお泊まりも、京都と東京の遠距離恋愛も、たくさんの初めてを一緒に経験して別れた。

 

今は別の人が隣にいるけど、洗面台の髪の毛を拭ったり、ふと癖で年下の彼に敬語で話しかける、そんな時家族や友人に作られたものではない、「あの人の形成した私」がいる。

5本指の靴下、寝顔の写真、少し猫背で、メガネ、TV番組が好きだったことだとか、そんなことを思い出して「元気かなあ」って思うと同時に、あの6年は確かに私の中にあり、今の私を作っているのだなと思う。別れてから何度か会ったけど「思い出の彼」と「現在の彼」は勿論別人なので、もはや美化された記憶が疑わしい。

あの街を逃げ出しておいてよかった。まだ京都駅には行けない。

あとパンが食べたい。

2人の私の夏休み

今週のお題「夏休み」

 

夏が来た。

私は夏が嫌いだ。

夏のうちは冬が好き、

冬のうちは夏が好き、というその場人間。

 

でも夏の木陰が好きだ。

ザワッと汗ばんだ髪が張り付き、

ざらりとした質感の肌が見える。

いいなぁと思う。

たなびくワンピースも、歪む口元も、

目元のシワも、

 

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私は人を見るのが好きだ。

ぼーーーっとずーーっと見てられる。

このぼーっとしてる感性100%の私は末っ子気質で甘えたがり、クリエイティブ、気まぐれ。

メールを返したり、意向を組み、課題について考えて組み立てる私は長女気質でツンとしたがりだ、営業的でもある。

 

この2つの私は共存しているが、

共存できない、そんな関係にある。

長女の時は末っ子になれないし、末っ子の時は長女になれない。半分半分できたら一番いいのだけれど、それもなかなか難しい。

 

歳をとるにつれてだんだん長女でいないといけない事が多くなって、末っ子気質の私は息が出来なくなりつつある。そうならないように前職を退職したはずなのにな。おかしいな。

 

まぁでも根っこが甘えたがりで

気分屋だから結局長女になりきれないのだ。

「違う自分になろうとしてなりきれてない」感じがするね、と友達に言われた。

 

たしかになぁ。

長女として信頼を積み上げていくのはドミノを積んでいく感覚に似ているんだ。怖い。

ピリピリする、

あの感じが末っ子の私は嫌でできない。

 

100%クリエイティブでありたいと思うけど、

それも長女の私の常識が邪魔してできない。

 

 

中途半端に自分を甘やかして

生きてきてしまった。

でも両方の気持ちがわかる。

寄り添えるそんな人間でありたいと思う。

 

浅く広く。

偶に深く。

 

友達に恥をかかせた日

書きたいことがあった時だけはてなブログを開いている気がする。

 

友達と映画に行った。

チケットを買う列に並んでいて、私は友達が先に行くのを見送って、別のカウンターに並んだ。1枚ください、と言った後に友達が横で振り返って「あれ?」と振り返ったのが見えて、目があった。

 

あれ?

私もあれ?ってなった。

「…セットだと安いらしいけどじゃなくていい?」って聞いた。友達はパパーっと寄ってきて「うん。お姉さんに2枚ですか?って聞き直されたて後ろ向いたらおらんくて、びっくりしたわ、」と言った。

 

え、うん、ごめん、と私は苦笑いした。

ちなみに、友達は男性だ。年も私より上。

そうか、奢ってもらわないといけなかったのか。私はなんで謝ってしまったんだろう。

その後もずっとモヤモヤしていた。今も。

私が異性だからなんだろうか。

 

観終わった後、友達が私に何を食べたい?って聞いたので、そばが食べたいって言った。暑さとヘビーな映画を見た疲れもあってそば屋さんで無言でご飯を食べた。友達はまた大きいお金を出して、私はどうしていいかわからなくて「後で返すね」って言ってしまったんだ。

結局そのお金はタイミングを逃して

返せていない。

頭痛がした。

 

その後もタピオカを飲んで、なんか可愛い炭酸を飲んで、そのお金もなぜか出してもらった。レジの前で別々で、って言うのもどうだろうかと思って言えなくなっちゃった。

 

いや、なんだこれ。なんだ、これ。

ぞわぞわと気持ち悪さが襲ってきた。

 

友達がもっとしっかり社会人で、

どう見ても私より年上で、

どう考えても私よりしっかりしてて、

どう考えても私よりお金があったら

こんなことを思わなかったのかもしれない。

多分身近に感じすぎてた。

 

そして「ご一緒ですか?」と聞いてくる

店員にもゾワっとした。

 

でもこのゾワゾワが、私と彼の関係性が違うだけで無くなるものなんだよなと考えると自分の中の価値観にもウンザリした。

 

私は彼が少し好きだった。でも彼は意中の相手でなくても優しくて、見栄っ張りで女の子には奢ってあげたい人なのだ。例え自分に余裕がなくても。プライドが高く、日常でそれが染みついている人なのだということも知っていた。

 

私は恋人になれないならパッキリ友人になりたかった。今余裕がない、と言って欲しかった。

対等になりたかったんだ、と思う。

よく考えたら年下で後輩だし学生だから社会人の彼と対等になれるわけないし、もっと甘えても良かったのかもしれない、けど、なんかとても嫌だったんだその時は。多分プライドだ。

 

カッコつけの彼を(気持ち悪いなぁ)と心底思ったけど、年齢と性別で分ける彼より、好きかどうかで人間を分けてしまう私の方が差別主義で悪人なのかもしれない。

 

いつ会っても、私に仕方なく付き合ってあげてるんだよ感を感じてしまうから、私は彼が嫌いだし、人間らしくて愛おしい友人だなと思う。

 

 

 

 

 

 

 

私はいい人ではない話

 

#チームワークを語れ!

 

他人に期待をしないこと。がチームワークの肝だと思う。

明るく振る舞うのが得意な根暗なので人からは「しっかり」してそうだの、

「運動できそう」だの「はっきり」してるだのよく言われるが、

残念ながら根っからの明るい人ではない。服装、化粧、動作、笑い方、顔の動かし方、正直、意識して動いている。他人からよく思われるにはどうしたらいいか、自己啓発本をめちゃめちゃ呼んでいる。「気配り女子」みたいな本も買った。この「しっかり」しているように見せる技は長くは続かないので、途中で電池が切れたように怖くなって誰とも喋りたくなくなる時が来る。長く続けようとすると本来の「サボり」癖のある自分がググッと顔を出す。

 

「もう無理だよ」

 

そう思って私は新卒で入った銀行で働くことをやめた。

頑張って作ったぶんだけ「期待」をされ、期待に押しつぶされた。

社内で全く話せなくなった。銀行というところは、根明の巣窟であると前に友達と話したことがある。

 

ねえ根明な人ってなんなんだろう、どんな風に育てばそんなふうになれたんだろう。

漫画を読まなければ?アニメを見なければ?ファッション雑誌を中高で読んでれば?運動部に入ってれば?私はそんなふうになれたのだろうか。

ちゃんと小さい頃から家事を手伝っていれば、母に甘やかされなければ、長女でなければ、お笑い番組を見ていれば、「声がキモい」といじめられることも、空気を読んで話すことも、この人は今何を考えてどうして私に声をかけたんだろう、私にどう動いて欲しいんだろう、何を言って欲しいんだろうと邪推する癖も、嫌われているのかなとなんとなく1日の中で辛くなることも、スケジュール管理や整理整頓が下手で他人に迷惑をかけることもなかったのだろうか。

しかしそれは果たして私なのだろうか。

 

本が大好きで、本を書く人になりたいと思っていた。

絵が大好きで、絵を描く人になりたいと思っていた。

演じることがたのしくて、演技をする人になりたいと思っていた。

いつだって自分と違う何かになりたかった。

そんな私は社会にとって害悪だったのだろうか。

 

「普通」になれればいいなとずっと思っていた。

平均、理想のモデルケース、たとえ話で使われるような生き物に。

人は天秤にかけて比べないと生きていけない生き物だ。

私の「好き」は、あなたの「好き」と比較される。「普通」が「普通ではない」。

流行を追わず、一つのものをずーっと好きでいてはいけないのか。きらきらひかるビルを星空のようだと言ってはいけないのか。「笑ってはいけない」が嫌いではいけないのか、テレビを見ないことが、「ダウンタウン」が嫌いなことがそんなにダメなのか?

みんなが好きなものを嫌いと言ってはいけないのか。同一化するな、私の大事な宝物を土足で踏み荒らして消えた友人たち。立ち直れず好きを隠すようになった青春時代。初恋、失恋、出会い、別れ、きっと誰だってこんな経験があるんだろう。

 

私は「呪い」をかけられている。自分が否定されたり、逆に肯定されて落とされた時からずっと、私が好きだったものを好きな人、なりたかったものになった人、なろうとしている人に対して同じ呪いを振りまきたくなる「呪い」。なんとか口を噤むことはできるようになったけど、 もう多分一生解けない。みんなはどうやってこの呪いを解いたんだろう。

 

私は私の作るもので「人の心を動かしたい」と今も思う。

でも君はそうではないかもしれない。だけど自分の一番大事な「感性」を踏みにじらないでくれるなら、誰とだって仲良くできるとそう思ってる。

尊敬しないで、軽蔑しないで、嫌わないで、すごいって言わないで、

私の感情を上書きしないで。消さないで。ただ聞いて。

 

 

だから私には東京が丁度いい。会話で返事を考える時間をくれる。

会話をしなくても許してくれる、静寂をくれる。

そんな気がしているだけかもしれないけど。

 

変わりたいって日々思ってる。

踏み込まないから踏み込まないでねと

ボーダーラインを引いたところからコミュニケーションを始めようよ。

ゆっくりしょうもない話をしようよ、ご飯何にしようかなあとか、

おはよう、楽しかったとか、嬉しかったとか、美味しかったとか、

好きなものの話をしよう。

 

きっとそういう事の積み重ねが一緒に何かを作る事につながるはずだと、思うのだ。 

挨拶をするとか、声をかけるとか、そういうしょーも無い事が世界を変える。

 

心の整理、それでも人と関わって生きて生きたいと思う。

浅ましいね。

日本の就活女子は最高に可愛い

 

こんにちは。就職活動の時期ですね。

就活といえば前髪流し、ナチュラルメイク、黒髪が求められていて

個性派女子からは「正直ない」「嫌だ」と言われがちですが、

あれそんなみんなブスか??

っていう所から話していこうかなと思います。

 

就活女子とは

資生堂の記事がめちゃめちゃ好みなので引用しますね。

左が普段、右が就活時です。

 

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モデルは天野 一菜(あまの いつな)さん。

優しく知的な雰囲気が素敵です。

1996年生まれ、静岡県出身。上智大学国語学部英語学科在学中に、「ミスソフィア2016」でグランプリを獲得。

 

この写真、実は私は右のほうが好きなんですよ。

与える印象がキリッときちんとして見えて「仕事一緒にしたい!」って思えるようなきがする・・・・・・そもそも就活のスタイルとは、

「おしゃれをすることではなく、相手を不快にさせない身だしなみを整えていくこと」

なんですよね。カジュアルからフォーマルに切り替えること。

 

茶髪・巻き髪・ネイルばっちり・ふわふわスカートだった女子大生が

黒髪で清楚なスーツ着て歩いてるのめちゃめちゃ良くないですか?

まあそういう子はスーツでも可愛いんですけどね。

 

www.rbbtoday.com

 

この記事の女の子も圧倒的に就活時の方が可愛いから見て・・・・

「就活、女子」で検索するとこんな画像も出てきました。

 

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就活女子必見の秘策!面接で7割の女子が着けてる?こっそり目力をUPさせるカラコン特集 | カラコンビフォーアフター

 

これは私でもモデルさんを選びます。

理由は顔云々ではなく、大学生2人に「清潔感」がないから。

 

まず「髪型」です。一番左のモデルさんも正直ないな、と思ったのですが、

髪は肩につく場合はまとめた方がいいです。

銭湯入る時も纏めるじゃないですか。一緒一緒。違う気もします。

「全部はちょっと・・・」という方はハーフアップにした方がいいです。

ハーフアップ可愛いよ。あと持論ですがハーフアップの方が小顔に見えます。

後れ毛は0にする!横の毛とかもNGです。ない方が可愛いよ。

これも「後れ毛・横の毛はそもそもだらしなく見える」もしくは「個性的に見える」かもしれない、という所から来ています。年配や人事の人から見たら特に。

社会にでたら「かもしれない」と思ったことは基本やめときましょう。

眉毛を整える!これは絶対!絶対やった方がいいです。

もう自分でできない人はまず眉毛サロンに行きましょう。プロが丁寧に話しを聞いてくれて整えてくれるので2ヶ月は持ちます。

耳はできるだけ出す!!耳と眉毛が見えると「いい人感」がUPします。

あとは表情でしょうか。笑顔が出て、朗らかに話せるとベストかと思います。

 

 

あと、ディファインはバレません。

不安な方はどうぞ。(バレても責任は取りません)

大学の時に可愛い女の子が言っていた

「女の子は髪の毛と肌さえ綺麗なら、可愛く見える」

という言葉を思い出しましたがつまり髪と肌が一番清潔感を表す部分だからです。

プラス眉毛だけちゃんとしてれば就活メイクは怖くないし、

オフィスカジュアル女子になれます。

 

そもそも就活メイク、就活女子のテーマは

「上司受けするメイク、服装」ということなんだろうなと思います。

そのまま社長の前に出ても恥ずかしくない格好で一番揃えやすいもの、という所でしょうか。老若男女全員から「ちゃんとしている」と思われる為の服装です。

 

対して女子大生のメイクは

「自分をいかに可愛く・綺麗に見せるか」という事に特化しています。

 

そこを上手く切り替えて

「上司受けして、かつ自分が納得できる」スタイルを探していくのが

2年目〜の自分のオフィスでの服装なんだろうなと思います。

いつまでもリクルートスーツ着てられないしね!

私は2着目のスーツは紺、3着目は濃いグレーを買いました。

使いやすい〜。

 

都市銀行で正社員として働いた女のつぶやきでした。

就活してる君たちは最高に可愛くて綺麗なので自信持って下さい。

メイクに自信なければ、デパートのコスメ屋さんで聞けば丁寧に教えてくれます。

もうちょっと近所だとスーパーとか薬局の中の化粧品売り場のお姉さんとか。

スーツ女子最高に好きなのでもっと増えてね・・・・

「ひとりの時間の過ごし方」を考える

 

こんばんは!!!!!!

やっと免許試験に受かって今日から普通車ATが運転できることみです。

やったーーーーー!!!!

 

免許交付ってめちゃめちゃ待つんですね・・・

 

門真運転試験場へ

(京阪の各駅しか止まらない古川橋の駅からも徒歩15〜20分かかる)

11:00に試験の申請に行き、

12:45〜試験開始(途中退室可)

13:30頃、終了

14:30頃、合否発表

15:20頃、再集合、写真撮影

16:00頃、写真撮影終了

(2018/02/26 現在) 

 

持ち物など詳しくは

大阪府警察 | 教習所を卒業した方

 

ここで急用により私は先に帰ったので、通常の方の交付時間はわからないのですが、

おそらく16:30頃から交付になるのではないかと思います。交付後説明があるので、遅い人だと17:00〜17:30 位になるんじゃないですかね・・・400人くらい同時に受けてるので配布も時間かかりそうだしなあ

写真撮影はバリバリ流れ作業でした・・・人相悪いわけだぜ・・・・ 

 

今日は今から妹の付き添いで夜行に乗るのですが、はてなさんのお題、「ひとりの時間の過ごし方」について考えます。

 

うちの母は、1人で行動ができない人間で、よくやりたいことや行きたい場所にできるだけ私たち兄弟を巻き込んでしたがります。悪いことじゃないんだけど。

 

久しぶりに試験日は1人で試験場で試験、空き時間にひとりご飯、献血、写真撮影、帰る、食事、近所でタッチアップしてもらう、コーヒー飲む、妹と夜行バス集合って感じだったのです。
結論から言うと、 1人めっちゃ楽しい〜〜〜〜〜〜〜!!!!

自分で決めた時間に自分で決めたことができる〜〜〜
楽しい〜〜〜
ひとり旅をいつか絶対したいな〜と思うのですが、用事がある時しか遠出しない・・・空間広がったしひとりで車飛ばして有馬温泉とか行きたい・・・・

 

友達と情報交換をするのがとても好きで「この前はここに行ったよ!」「ここが美味しいよ!」とか教えてもらうのが大好きです・・・・・負けないくらいいろんな場所に行きたいものだ・・・・が、女子1人でいろんなところに行くのはやはり世間的には余り良いイメージはないような気がします。

 

ぱって思いつくのは、女子1人で牛丼とか。ラーメンとか。軽めのランチとか。カフェとか・・・・うどん食べたり・・・・今はだいぶ優しくなった気がしますが、なんでこれ違和感を抱えてしまうんですかね?ええやないか・・・1人でご飯食べても・・・・・

 

やっぱり女の子が1人で行動する事の危なさって言うのが大きいかなと思うのですが、この部分はもう少しいろんな方の記事を調べて補足したいです!

夜行体バキバキなるのかなあ・・・・嫌だなあ・・・

 

 

 

 

お題「ひとりの時間の過ごし方」

「猫」を知らないと、「猫」は好きになれないよね

今週のお題「ねこ」

猫・・・・猫か。

猫派か犬派かという論争は人類が始まった時からあるんじゃないか?と思う。

実は「猫派?犬派?」と聞かれてもあんまりピンと来ない。そういう人いない?

猫・・・かわいいよね・・・

犬・・・かわいいよね・・・

って感じ。実家には犬は多い時で2匹いました。

でも推しにつけるなら圧倒的に猫耳の方が可愛いんだよなあ

形が三角でちょうどいいからかもしれない。

人間が可愛いと思う構造になってそうというか、あざとい?というか。

「猫」っていう存在も全世界共通の「可愛い」っていう認識かつ言語なのかなと思う。猫オリンピック開催したら楽しそう。中国かどっかのアジア圏内では食べるらしいけど。

 

学生時代、国語の教科書を読むのがとても好きで

配られたらすぐ読んでたんですが、そこで忘れられないのが

「共通認識の話について」書いた文章でした。

タイトルも作者も思い出せないけど、

 

「あなたの感情を他人にも求める時、そこには同じ土台が必要とされる。」

 

という感じの文章が10Pぐらいあった。ような。

まだ教科書に載っているのかな。多分高校で習った文章で、

自分で読んだ時は何言ってんだこいつ状態だったんですけど

現国の先生が「君が好きな本を好きになるには、まずこの本を読んでいないといけない」って教えてくれてストンと自分の中に落ちた。

大阪での普通が、東京では普通ではないように。

あなたの普通を、私の普通とするには土台が同じでなければならない。

 

昔、友達に「お前おもんないから黙っとき」って言われたので

「じゃあ『おもろい』って何?この話どうやって言ったら面白いの?」ってガチで返したことあるんですよ。喧嘩腰やと思われて後輩に仲裁に入られたんですけど、本気で疑問に思ってて「何やろうな」って今でも気になってる。

でも彼等の中ではそれが「共通認識」で「当たり前」なんですよね。「わからへんの?」「空気読めない」ってなるんですよね。

私は君たちの「おもろい」について具体的に言葉にして教えて欲しかったし、対等に話がしたかった。

 

ただ今考えると、完全にこれ甘えだなと思います。

その空気や話し方やらを学ぶために義務教育で集団生活をしていたのであって、彼らはそこで怠らず学んで「共通認識」を手に入れたのであって。

自分でそう思ったなら「どうすれば面白いのか」「どう話せばいいのか」を自分で学ぶべきで、他人から教わるようなものではないんだと。

 

毎回友達のSNSとか話し方とかを観察して、

「ああ 今は こういう 話し方が 求められてるんだな 」

「こうやって言ったら嫌われない」

とか考えて投稿してしまうよね。SNSめんどくさ〜い!でも好き!

みんながみんな、少しでもそうなんだとしたら

発祥は一体誰なんでしょうね。

 

 

あ〜〜〜〜そんなこと考えずに根明リア充になりたかった・・・・

以上、猫の話から「共通認識」についてでした。

また文章読みたいな〜タイトルなんだったかな・・・「1億光年の孤独」の前か、後に教えてもらったような記憶があります。知り合いの国語の先生に聞いてみようと思います。「パン派?米派?」なら「どっちも好き!」って答えられるのにね

 

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